【千里中央 再開発!】千里セルシーの思い出を振り返り、今後の発展への期待を語る!!

北摂おでかけ

2019年5月で閉館した後も一部店舗の入居が続いていた千里セルシーが、2022年5月すべての店舗が退店し、ついに全館営業終了しました。
2023年度~2024年度くらいから千里セルシー建て替えが開始されることになっており、周辺の施設(阪急・オトカリテ・千里阪急ホテル)などについても建て替え計画が発表されています。どんな発展をするのかについて、これまでの思い出再開発への期待について紹介していきたいと思います。

2023年4月に閉館した「オトカリテ」については、こちらの記事で解説していますので、興味のある方はぜひご覧ください。

【千里中央】2023年4月”オトカリテ”が閉館!今後はどうなる? | h+ (hokusetsu-plus.jp)

千里中央について

いきなりですが、千里中央は大阪府の中で「何市」にあるかすぐに答えられますか?

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地元の人以外はすぐに答えられないのでは?

その答えについては、少し解説を進めながら発表したいと思います。

千里ニュータウン

「千里」という名称で、全国的に有名なのはまずは「千里ニュータウン」だと思います。
高度経済成長期に大阪のベッドタウンとして広大な敷地に住宅街がたくさん誕生しました。

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学校でこのことを学んだうちの子供は「もう”ニュー”ちゃうやん」と言ってました。

確かに。。。

高度経済成長期については下記記事でわかりやすく&詳しく解説してますので、興味があればご覧ください。

【高度経済成長】”感覚的”に理解する日本経済の歴史
TK 今回の記事では、いわゆる第二次世界大戦後の「日本の経済成長」がどのようなものだったか、できる限りわかりやすい表現で"感覚的"に理解していただきたいと思います! 第二次世界大戦後、日本にはものすごい勢いの経済成長の時

また、千里ニュータウンについては、千里ニュータウン情報館という施設が南千里にあります。
先日訪問してみましたが、興味深い資料がたくさんありました。

千里ニュータウン情報館には、webサイトもあり、ニュータウン誕生の歴史からとてもよくまとめられていますので、興味がある方はまずはこちらをご覧ください。

千里ニュータウンとは – 千里ニュータウン情報館
1.誕生2.計画3.変化4.再生年表MAPギャラリー資料1.誕生住みやすいまちを求めて日本では第二次世界大戦で多くの家屋が失われ、戦前は海外の植民...

子供の自由研究としてのテーマにも向いているかもしれません。

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web+情報館訪問+現地訪問

やる気があれば、いろんなことを書けますね。

千里ニュータウンは豊中市(東側)と吹田市(西側)で構成されています。

千里ニュータウン | ニュータウン・スケッチ
戦後の高度経済成長期、多くの人々が地方から都市へと集まってくることで、都市では住宅需要が増大し、既成市街地周辺
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御堂筋で分けられていないところが割とややこしいよなー

ということで、千里中央は「豊中市」ということになります。
この周辺で「千里」と名の付く電車の駅は千里中央・北千里・南千里・千里丘の4駅になりますが、「千里中央」だけが豊中市ということで少しややこしいですね。

なお、北千里・南千里・千里丘と呼ばれている地域は、吹田市内にあります。

千里中央の位置づけ

交通面

電車では御堂筋線の終着・始発駅となり、モノレールでは東西にも行くことができます
大阪国際空港へも10分程度で到着します。

道路については南北に新御堂筋・東西に中央環状線という大きな幹線道路が交わる場所にあり、中国自動車道や名神高速道路へのアクセスもすごくいいです。
交通面では、今でも大阪でも有数の要所となります。

商業面

かつては、あとで解説する千里セルシーやせんちゅうパル、阪急百貨店・大丸百貨店(オトカリテ)をはじめとして、多くのショッピング施設が集中しており、栄えていたことわかります。

しかし、施設自体の老朽化に加え、周辺に大きなショッピングモール(箕面キューズモール・エキスポシティ・イオンモール茨木など)ができたことや百貨店の集客力低下などにより、魅力は薄れていることが感じられます。

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狭い駐車場が多いので、個人的には車ではあまり行きたくないですね。

千里中央再開発の必要性

千里中央の再開発については、豊中市が主導となり開発を行うこととしています。

千里中央地区活性化ビジョンの実現に向けた取組み 豊中市 (city.toyonaka.osaka.jp)

こちらの「はじめに」の部分には、このように書かれています。

千⾥中央地区は、我が国最初の⼤規模ニュータウンとして昭和 37 年(1962 年)にまちびらき した千⾥ニュータウンの中核を成し、昭和 45 年(1970 年)の⼤阪万博の開催に合わせ、北⼤阪 急⾏電鉄千⾥中央駅が開業するのと軌を⼀にしてまちびらきし、千⾥ニュータウン、さらには⼤ 阪万博への⽞関⼝の役割を担いました。⼤阪万博閉会後には、逐次、エリアを拡⼤しながら、時代とともに発展してきました。

出典:豊中市 千里中央地区活性化ビジョンの実現に向けた取組み
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短い文章で千里中央の歴史がきっちりわかりやすく伝わりますね。

そのほか、千里中央地区活性化ビジョンの「はじめに」部分では、

・千里中央が交通の要衝となっている
・周辺で大規模商業拠点の開発が相次いでいる
・北大阪急行の延伸により、バスターミナル再編のタイミングにもなる
・高いポテンシャルを活かしたまちづくりが行政などの総意である

など、先ほどまで紹介してきた内容も要約されています。
ここまでで、関西・大阪の主要拠点として「再開発すべき理由」を理解いただけたのではないかと思います。

再開発計画

現在、進行している開発計画は東町中央ゾーン(下記の赤点線)のうち、

・せんちゅうパル
・senrito(先行開発区域)

を除いた場所で計画されています。

出典:豊中市

そして、最新の再開発計画こちらになります。
こちら開発計画にあるこの画像、どこから見たイメージ図かわかりますか?

出典:豊中市

正解は、下記マップの矢印の方向から見たイメージ図でした。
私も最初はわかりませんでしたが、せんちゅうパルの存在に気づけばすぐにわかりました。

出典:豊中市

真ん中にせんちゅうパルを残したまま両サイドを建て替えようとしていることがわかります。
このイメージを見ていると、せんちゅうパルを残した再開発により中途半端な再開発にならないかな、という点が気になります。
例えば、新たに開発された場所に、せんちゅうパルの店舗も移行させてからせんちゅうパルを壊して、その壊した場所は開放的な空間になる、となればいい感じかもしれませんね。

せんちゅうパルの再開発については、まだ何も決まっていないようです。(2023年9月時点)

現在(2022年7月)の千里セルシー

話が千里中央全体に広がりましたが、千里セルシーに話を戻したいと思います。
建て替え・再開発が決まった「千里セルシー」ですが、完全閉館後の解体工事が始まる前の様子を見ておこうと思い現地に行ってみました。
行ってみると、重機などが配置されている様子もなく、解体工事自体はまだ先のようです。
この建物を取り壊して更地にするのではなく、新しい施設を建設しながら解体を行うのかもしれませんね。

南側の様子

南側から様子を見てみました。建物の入り口には、
・閉館の案内
・通行不可エリアの張り紙

がありました。

セルシー閉館のお知らせ

南東の端にはダイエーの搬入口が。
かなり目立ついい場所にあったようですが、いままで気づいてませんでした。

ダイエーの搬入口(おそらく)

東側の様子

東面にまわると古くなった室外機やダクトがたくさん設置されており、歴史を感じます。

黒い油が滴り落ちるダクトと室外機

この東面ですが、千里中央のメインと言ってもいい道路沿いになりますが、建物の裏ばかりが見えてあまりいい景色とはいえません。
今であれば、大きな道路沿いに店舗や、少なくとも看板などを掲げたりすると思いますが当時は考え方が違ったのかもしれませんね。

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建て替え後はどんな風に変化するのか期待ですね。

北側の様子

北面に回ると、ダイエーの入り口が残されていました。

下の板は防水版??

なぜかダイエーだけは、いたるところに看板が残されている気がします。
看板の数が多くて目立つだけかもしれませんが。。

西側(屋内)の様子

そして、セルシー北面の1F、屋内通路です。
今回現地に行って初めて知ったのですが、この通路の左(東)側はセルシーで・右(西)側はせんちゅうパルということで、セルシー側のみすべて閉店となっていました。

左がセルシー、右がせんちゅうパル
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ということは、今も使えているこの通路はパルの持ち物ってことなんでしょうね。

続いて北面B1F、食堂街の通路です。
先ほどと逆向きの写真でややこしいですが、右側がセルシーのお店だったということのようです。

右がセルシー、左がせんちゅうパル

こちらの階段は地上からで封鎖されていた階段を降りたところです。

地上で封鎖されていた階段

柵が安っぽく開放的になっているのは、地下街としての非常階段の機能だけは継続しておく必要があるからだと思います。
何かあったときでも、この程度の柵なら突破できるということでしょう。
ただ、非常時に使えるようにしておくのであれば、普段から使わせてくれればいいのに、と思ってしまいます。。。

基本的にセルシー側は壁で囲まれていましたが、一部上部が開放されている場所があったので、のぞいてみました。

上からのぞいてみました

すると、電気ついていました。工事業者さんが入る的な入り口もあったので、そのために電気がついているのかもしれませんね。
ただ、左側の壁にやたらと「セルシー」の広告があるのは少し違和感を感じますね。。。

西側(屋外)の様子

そして、ようやくメインとなる北側からの全体感です。

時計は正確な時刻を刻んでました

この千里セルシーって「大型船」をモチーフに作られたのですが、知ってました?
確かに独特な形状をしているなとは思ってましたが、船のイメージはありませんでした。。。

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エレベーター(二本の筒のような構造物)を煙突に見立ててるということなんでしょう。

だから、エレベーターの最上階より長く作られているということがわかりました。

千里セルシーの思い出

今のようすを確認したところで、千里セルシーの思い出話を紹介していきたいと思います。
千里セルシーが栄えていたころ、私は広島に住んでいて存在も知りませんでしたので、私の周りの同世代の知り合いたちに思い出話をいろいろ聞いてみました

ステージ

今(閉館後)のステージの様子

これが、「ここでイベントをすると“売れる”」ということで有名だった(らしい)ステージです。
堀ちえみ・西村知美・モーニング娘など超有名なアイドルもイベントを行っていたようです。

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このステージでのイベント=無料のイベント、というだったので、

上の階まで、ものすごくたくさんの人が集まったんだと思います。

ステージの思い出

高一のときに学校サボって、内田有紀見に行ったー

(40代男性)

もみくちゃになりながら光GENJI見に行ったけど、ほとんど見れなかった(汗)

(40代女性)

プール

出典:千里ニュータウン情報館

古い写真なので映りが悪いですが、プールです。
こんな場所にプールを作るというのは、当時としてはかなり画期的だったと思います。

1990年代には営業を終了し、パターゴルフ場に変わりました。

出典:千里ニュータウン情報館

パターゴルフの思い出は、誰からも特に出てきませんでした。

プールだった場所の今の様子です。(この角度が撮影の限界・・)
パターゴルフの跡形でしょうか?最終的にこの場所はどうなってたのでしょう。
今となってはわかりませんね。

プールの思い出

狭いプールにめっちゃ人がたくさんいて、あんまり楽しめなかった思い出!

(40代女性)

プールの横で、プリプリの曲をウォークマンでずっと聞いてたー!

(40代女性)

何回も滑り台に並んだ!今写真を見ると割とスリリングな感じがするな、、

(40代男性)

ボウリング

巨大ピンがギリギリ見えます(出典:千里ニュータウン情報館)

当時はボウリング場自体があまりなかったようで、「セルシーオープン」というプロの大会も行われていたようです。
とはいえ、住宅街にある庶民的なボウリング場であることには変わりなく、学生でも手軽に楽していたようです。

ボウリング場の思い出

高校時代の合コンといえばセルシーボウル!懐かしいわー

(40代女性)

そいえば、このボウリング場でカツアゲされたなぁ・・

(40代男性)

遊園地?

セルシー遊園地?(出典:千里ニュータウン情報館)

左の紫のキャラ(エアートランポリン)が、どんなんだったのかが気になりますね。。
そして、この写真のちょうど真ん中部分にはカート場があったようです。
こちらが現在(廃園後)の様子です。これ以外にたくさん遊具があったのだと思いますが、今ではカートコース以外何もないですね。

遊園地の思い出

エアートランポリンが楽しすぎて、おもらししとった子がおったわ(笑)

(40代女性)

このカートで遊ぶのめっちゃ好きやったー。こればっかりで遊んでた!

(40代女性)

その他

それ以外でも、思い出話をいただいてます。

その他の思い出

他校の中学生にいちゃもん付けられてインテリアートの裏に連れていかれた・・(汗)

(40代男性)

デイリークイーンのアイがめっちゃおいしかった!!

(40代女性)

再開発に期待すること

この記事を書くためにいろいろと調べ、知り合い等の話を聞いていると、少なくとも千里ニュータウンや北摂に住んでいた方にとっては、「遊びや買い物をするなら千里中央」という場所であったことがよくわかりました。

今では、老朽化と周辺の開発により、施設としては衰退したと言わざるを得ない状況です。
とはいえ、さまざまな交通の要所であるという点は今後ずっと続くという点ではまだまだ発展する可能性は大いにあると思われます。

再開発による千里中央の発展に向けて、私自身が期待することを紹介させていただきます。

期待① 交通の要所であることを活かす

車・鉄道どちらにおいても交通の要所になる千里中央です。そんな利点を活かした再開発を行ってもらいたいものです。
鉄道については、今のままでも十分便利な場所に駅があるのでいいと思います。

しかし、自家用車で行く際には、道路グルグル・グネグネしてようやく駐車場に到着、という感じがしてしまいます。
さらに、駐車場も狭くて車が停めにくいところが多いという点はぜひ改善してほしいところです。

エキスポシティのように、道路を走っていてその流れで駐車場に入れる、という感じで作るともっと車での来客が広まる気がします。

期待② 住民の意見をしっかり聞く

再開発のアイデアや意見の収集は過去(平成15年)に行われていたようですが、最近は行われていないようです。
箕面キューズモールやエキスポシティと同じような商業施設を作っても、潰しあいになるだけであまり意味がありませんよね。

では、どんな施設を作っていけばいいのか??

豊中市や協賛企業で考えるのもいいですが、しっかり住民の意見を聞いて何を期待されているかを知ってほしいですよね。

期待③ せんちゅうパルの今後も意識する

現在の「せんちゅうパル」がリニューアルオープンしたのは1990年、すでに30年以上経過しています。老朽化は否めません。。。

せんちゅうパルもだいぶ老朽化

千里セルシーを含めた周辺の施設と、これまで共存してきたことを考えると、千里中央の再開発でも重要だと思いますが、いまや千里中央の中心となったせんちゅうパルエリア”の活用方法を考えたうえで、今回の再開発も進めてほしいと思います!

 

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豊中市一市民として、

千里中央の再開発に大いに期待しています!

最後までお読みいただきありがとうございました!!

【追加情報】2024年3月23日北大阪急行延伸

2024年3月23日に北大阪急行の北側の終着駅が千里中央から”箕面萱野”へおよそ2kmほど延伸しました。
延伸初日に、その区間を乗車してきたので興味のある方はこちらの動画をご覧ください。

延伸した距離としては短いですが、千里中央としては”終着駅”であり”始発駅”であるというメリットが無くなってしまうことにもなります。
延伸により終着駅となった箕面萱野駅では、大型ショッピングモール”みのおキューズモール”がさらに店舗数を拡大しました。

東側のエキスポシティ、北側のみのおキューズモールに対抗できる再開発を行うことが、千里中央のさらなる発展につながることは間違いありません。
豊中市民として、再開発に期待しながら見守っていきたいと思います!

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最後までお読みいただきありがとうございました!

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