【2024年3月箕面へ延伸!】北大阪急行の歴史を振り返る!

北摂おでかけ

北摂、特に箕面や千里中央近辺に住んでいる方であれば“待ちに待った!”という感じです。
ついに、2023年度末(2024年3月)に北大阪急行が延伸しました。

北大阪急行電鉄株式会社
北大阪急行電鉄株式会社の公式サイト。路線図・各駅情報、乗車券のご案内、運賃検索からお得な乗車券、イベント情報、沿線の名所史跡などもご紹介しています。

今回は北大阪急行延伸までの歴史について、特にこの地図のエリアについてお話をしていきたいと思います。

2023年北大阪急行延伸(出典:グーグルマップ)
2023年北大阪急行延伸(出典:グーグルマップ)
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このあたりをよく知っている方は、特に興味を持って読んでいただけると思います。

「北大阪急行の延伸」はかなり画期的な出来事ですし、新駅を中心とした沿線はかなりの経済効果が見込むことができると考えます

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駅周辺は様々な開発が進んでいますし、マンションもたくさん建設されています!

いろいろ調べてみると、この「北大阪急行の延伸」にも大いに関連する過去の経緯がわかってきたので、その歴史について紹介していきたいと思います

【注意書き】
本記事は歴史的な話が出てきますが、今読んでいただいている方へのわかりやすさを優先するため、様々な名称について、基本的に現在の「施設名」「鉄道会社名」と「駅名」で説明しています。

また、さまざまな記事や文献を読んだうえでの予測的な部分も多々あります

もし、間違った部分やあいまいな部分については、ご容赦いただきお読みください

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イロイロ、ご理解よろしくお願いします!

北摂エリアの阪急電車

阪急箕面線の歴史

まずは阪急電車の歴史を語る上での主役のひとつ、阪急箕面線についておさらいしておきます

この線は、阪急宝塚線と同時である、1910年に開通しました
当時の鉄道会社は「箕面有馬電気軌道」という名称でした。

その名前からわかる通り、

・有馬温泉
・箕面の滝

などの名所へ行くことをターゲットにした路線でした

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結局、有馬温泉まではたどり着きませんでしたね。。。

かなりの山道ですしね。。。

宝塚の発展

少し余談になりますが、阪急電鉄は「有馬温泉までは厳しいかな」と思ったのか、その後宝塚の発展に尽力していきます

1911年 塚ファミリーランドの開業
1913年 宝塚音楽学校の設立
1914年 宝塚歌劇団の初公演

その後有馬温泉まで延伸らしき動きもないことを考えると、これらの事業は当時の終着駅である宝塚を発展させて、電車利用者も増やそうという狙いがあったのでしょうね

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確かに宝塚から有馬温泉までの道はかなりの山道。

今の技術でも、路線を延伸しようとしてもかなり難しいことだと思います

宝塚-有馬温泉の道路(出典:グーグルマップ)
宝塚-有馬温泉の道路(出典:グーグルマップ)

車で道路を通っても、この赤丸あたりはかなり勾配があり険しい道です。

千里線・箕面線接続計画

開業から数十年、1960年くらいになると阪急宝塚線の営業を続けるうちに、路線利用者が増加したことから、

「せめて京都方面からの利用者を分散させたい」

という思い(たぶん)から、当時「千里山駅」までなかった千里線を、阪急「桜井駅」まで延伸させようという計画ができたようです。

千里山‐桜井延伸計画(出典:グーグルマップ)
千里山‐桜井延伸計画(出典:グーグルマップ)

1961年に事業免許を取得していることから、この計画は本気だったんだと思います。

そして、実際に1963年千里山駅から南千里まで延伸されています

南千里までの延伸(出典:グーグルマップ)
南千里までの延伸(出典:グーグルマップ)
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2年で延伸できてしまうなんて、今では考えられませんね!

南千里駅まで延伸したことで、こんなルートを想定していたんだと思います。

南千里‐桜井延伸計画(出典:グーグルマップ)
南千里‐桜井延伸計画(出典:グーグルマップ)

しかし、1960年くらいから開始された千里ニュータウンの開発計画との調整がとれず、南千里駅から千里中央駅に路線を伸ばすことはできなかったようです。

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もし、この路線が開通されていたら、

千里中央の発展も違った開発が行われていたんでしょうね。

とにかく、このタイミングで阪急千里線と阪急箕面線の接続計画は白紙となったのだと考えられます。

万博対策としての千里線延伸

1965年は大阪万国博覧会(1970年開催)が開催されることが決まった時期でもあり、万博会場への来客を分散する目的で、阪急千里線の更なる延伸が計画されることとなりました。

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ほんと短い期間にいろんなことがあったんだな・・、と感じる。

そりゃ、経済成長もすごいよ。

具体的には、南千里駅から北部に延伸し、新駅「万博西口駅」を作りました
さらにその折り返し駅としての位置づけで、現在の位置に”北千里駅”ができた(1967年)ようです。

南千里‐桜井延伸計画(出典:グーグルマップ)
南千里‐桜井延伸計画(出典:グーグルマップ)

駅と万博会場は、こんなルートで入場できていたようです。

万博西口駅→万博会場へのルート(出典:グーグルマップ)
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今「万博西口駅」現地に行っても、駅も陸橋も跡形がありません・・・

なんだか、寂しい感じもしますね。

ちなみに”万博西口駅”は南千里駅と北千里駅の間にありましたが、今の”山田駅”とは違った場所にありました

万博終了後に”万博西口駅”はなくなり、新たに現在の”山田駅”が誕生したようです。

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場所はあまり変わらないけど、モノレールとの接続を選んだのかもしれません

北千里駅からの延伸計画

万国博覧会後については、以前の記事でも述べた通り高度経済成長期が終わりを迎え、なんでもイケイケの時代は終了します。
高度経済成長について知りたい方はこちらの記事をご覧ください!

【高度経済成長】”感覚的”に理解する日本経済の歴史
TK 今回の記事では、いわゆる第二次世界大戦後の「日本の経済成長」がどのようなものだったか、できる限りわかりやすい表現で"感覚的"に理解していただきたいと思います! 第二次世界大戦後、日本にはものすごい勢いの経済成長の時

1980年代からは北摂地域の東西を横断するモノレールがどんどん開通していきます。

このことにより、1960年~1970年くらいに狙っていた「乗客を分散したい」という目的はある程度かなったとも言えます

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経済効果的には接続できた方がよかったんだとは思いますが。

ということで、これ以降北千里駅から延伸するという話や計画は出てきていません

あきらめていなかった延伸計画

北千里駅まで延伸した際に、阪急電鉄が更なる延伸(箕面駅までの延伸?)をもくろんでいた証拠をみることができます
駅から北に向かって、明らかに路線を延伸するために土地を確保していた様子がなんとなくですが、今でもわかります。

数十年空き地だった場所(出典:グーグルマップ)

延伸をあきらめたであろう現在では、すでに一軒家などが建ち売り出されていますが、当時は延伸に向けて土地の確保をしていたんだと思います

北千里‐箕面延伸計画(出典:グーグルマップ)
北千里‐箕面延伸計画(出典:グーグルマップ)

北大阪急行の延伸

話は戻りますが、2023年度に北大阪急行が2駅延伸することが決まりました。

・箕面船場阪大前駅
・箕面萱野駅

の二駅です。

二駅とも、すでに大学やショッピングモールがあるため、今後の発展が大い期待できる延伸です。

2023年北大阪急行延伸(出典:グーグルマップ)
2023年北大阪急行延伸(出典:グーグルマップ)

ここまでで説明してきた、阪急箕面線と阪急千里線の接続計画は大きく

・乗客の分散
・延伸地域の発展

を目的としたものでした。

「乗客の分散」についてはモノレール開通等の交通網により解決してきました

一方、箕面船場地区や萱野地区などまだまだ発展の余地のある地域の活性を、コストも少なく実現できる、というプランが今回の2駅延伸だったということだったのかもしれません。

ちなみに、北大阪急行も阪急・阪神グループなので、バスを含めて競合することは全くありません。

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現状、バスも含めて、このあたりは阪急独占状態ですね。

まとめ

今回は、「北大阪急行延伸」に関して、この地域の鉄道計画の歴史を振り返ってみました

高度経済成長の中、千里ニュータウンや万国博覧会の影響を受けながら今の状態が作られ、今後の発展を見込める地域ということで、箕面船場・萱野へ延伸されることになった、という歴史でした。

実際に2024年3月23日に北大阪急行は延伸されました。
この沿線が今後どのような発展をするのか、どんな経済効果が現れるのか、という点については、また別の記事で取り上げていきたいと思います。。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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